結局、見た人にどう感じてもらえるか、

こんにちは。


自分でよく撮れたと思ったヤツが
人から見るとそーでもなかったり、

そーでもないのが意外と評判よかったり

1枚の写真で遊んでみるとしよう

僕が美容師っていう先入観だと、
こう目が行きがちで
ただの花好きな気持ちで撮ると
こうなると思うし、


髪のニュアンスにフォーカス

ここを見てくれ!とフォーカスをあてさせると作品というか広告っぽくなる

ヘアカタっぽくトリムすると
バストアップでこんな

今スマホカメラのスペックが上がって、
後からフォーカス変えられたり、
優秀なソフト、アプリもあるから、
フォーカスにしろ、色彩にしろ

大概、なんでも、ぽく撮れる時代。


だからひねくれてる僕はこう撮る 笑


ちょっと違うかもだけど、

ピクトリアリズムよりストレートフォトグラフィーで撮りたい気分

ヘアカタとは別の

作品と呼ぶものを撮るなら

商業的マーケティング目線より

クリエイティブ目線で

考えて、撮れてたらいいなーと、

まぁ結局のところ、

見た人がその1枚を見てどう感じてくれるか、

ですね!

 

ピクトリアリズム  
「絵画的現実主義」。19世紀末~20世紀初頭にかけて欧米を中心に広く展開された、写真の「芸術性」を追究する運動。
19世紀に写真が産声を上げて以来、この新しいメディアが伝統的な絵画に比肩する芸術足りうるか否か、という問いは絶えず激しい議論の対象となってきた。1886年に刊行されたP・H・エマーソンの論文「写真―絵画的芸術」は、その可能性を全面的に肯定するものであり、以後これに刺激されて1892年に結成されたリンクト・リンクの実践を皮切りに、写真表現や教育の現場で広く「ピクトリアリズム」の可能性が追究されていくことになる。その過程で開発されたカーボン印画法(Cabon Process)ゴム印画法(Gum Bichromate Process)、オイルプリント(Oil Pigment Process)、引き伸ばし用ブロ、マイド印画紙を使用するオイルプリント、ブロムオイル(Bromoil Process)などのさまざまな技法は、いずれも写真に絵画に匹敵する色彩や諧調を与えるためのものであり、とりわけ、後期印象派の絵画がその範と仰がれた。その影響は、はやくも明治20年代には日本へと及んでいる。写真の記録性よりも審美性を重視した点では、史上初めての組織的な芸術運動であった。 
  
ストレートフォトグラフィ 
ぼかしや、画面構成についての演出、合成といった技巧を用いることなく、人間が見たままのようにシャープな視線で、あるがままの風景、人物等が撮影された写真作品およびそのような表現手段・表現形式のことである。 
ストレートフォトグラフィは、もともとは、19世紀から20世紀初頭のピクトリアリスムにおいて、ぼかしなどの技巧やモデル等の特別な配置を用いて、絵画的な作品を制作する傾向が著しく強かったのに対して、写真を絵画とは独立したものととらえ、写真(カメラ)本来の特性・独自の機能を重視し、写真にだけ可能な新しい表現形式を確立することによりその地位を高めることを目的として、アルフレッド・スティーグリッツらにより主張され、始められた表現手段である。このこともあり、スティーグリッツは、しばしば「近代写真の父」と呼ばれる。その後、ストレートフォトグラフィは、上記の目的を終えたあとも、多くの写真家により意図的に表現手段として選ばれ、現在にいたっている。 


HIRAO YUSUKE【posted the art from shibuya2】

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